スーツの国内生産数の推移
フランスで高級既製服を意味する プレタポルテ という言葉が誕生したのは 1945 年で、1960年代には イブ・サンローランやピエール・カルダンなど、オートクチュールのデザイナー(クチュリエ)もプレタポルテへ進出し、時代は注文服から既製服へ移行していく。
日本のスーツ生産数も世界的な流れに同調し、通商産業省(経済産業省)の 1958年の工業統計調査では、昭和25~29年まで既製服の年間生産量は3000 着ほどだったものが、昭和30年(1955年)から 年間 30 万着と 急激に生産数が伸びている。
1950 ~ 1958 年
経済産業省 工業統計調査 ( 男子少年用背広服 )
和暦 | 西暦 | 生産数 | 金額(千円) | 出来事 |
昭和25年 | 1950年 | 3,172 | 112 | 朝鮮戦争勃発 |
昭和26年 | 1951年 | 3,134 | 3(誤記?) | |
昭和27年 | 1952年 | 3,334 | 183 | |
昭和28年 | 1953年 | 3,766 | 827 | |
昭和29年 | 1954年 | 3,088 | 239 | |
昭和30年 | 1955年 | 357,562 | 1,930,597 | ベトナム戦争勃発・はるやま創業 |
昭和31年 | 1956年 | 523,285 | 2,707,719 | |
昭和32年 | 1957年 | 529,573 | 3,204,405 | ダイエー創業 |
昭和33年 | 1958年 | 619,111 | 3,531,585 | 洋服の青木 創業 |
日本経済は 1950 年に勃発した朝鮮動乱の特需で ドッジ不況 から回復し、企業の設備投資 や 1950 年代後半から普及した 三種の神器 ( 白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機 ) などの 個人消費 拡大により 高度成長期を迎え、消費の時代へと突入する。
1955年 米国が 行った 繊維製品の関税引き下げを期に 日本は綿製品の対米輸出が急増し、1957 年には 米国政府の提案によって 対米綿製品の輸出を 5 年間自主規制する 日米綿製品協定 を締結。
1971 ~ 1980 年
経済産業省 工業統計調査 ( 男子、少年用背広服上衣 )
和暦 | 西暦 | 生産数 | 金額(百万円) | 出来事 |
昭和46年 | 1971年 | 4,433,626 | 37,997 | ニクソン・ショック・スミソニアン協定 |
昭和47年 | 1972年 | 7,073,242 | 51,861 | |
昭和48年 | 1973年 | 7,183,080 | 64,639 | 変動相場制へ移行・第一次オイルショック |
昭和49年 | 1974年 | 9,691,972 | 83,797 | |
昭和50年 | 1975年 | 11,472,581 | 96,712 | シップス創業 |
昭和51年 | 1976年 | 11,082,405 | 105,123 | ビームス創業・ファイブフォックス設立 |
昭和52年 | 1977年 | 9,073,959 | 93,042 | |
昭和53年 | 1978年 | 12,976,915 | 114,930 | |
昭和54年 | 1979年 | 12,337,187 | 111,840 | 第二次オイルショック |
昭和55年 | 1980年 | 12,520,429 | 102,269 |
1970年以降も スーツの生産数は増加傾向が続いているが、1968年の米国大統領選挙で 毛・化学繊維 に対して輸入規制を行うことを公約した リチャード・ニクソン が大統領へ就任。
沖縄返還の密約もあり、1971年 10月に米国の要求を飲む形で 日米繊維問題の政府間協定の了解覚書 の調印が行われ、繊維製品の輸出が規制される。
1971年には ドルの金への交換を一方的に停止したニクソン ・ショックを発端に、スミソニアン協定でドル・円の交換レートは 1ドル = 360円から308円に切り下げられ、73 年には変動相場制へ移行。
73年10月に第四次中東戦争が勃発して原油価格が高騰、第一次オイルショックにより急激なインフレが起こる。
輸出産業だった国内の繊維業界は 国内需要の減退と過剰な生産設備という産業構造の問題が露呈し、収益の大幅な悪化により 倒産や雇用縮小する企業が続出。
73年には93万人だったアパレルを除く繊維工業の従業員数は 79年に70万人にまで減少し、1965年~1981年の間に4回の不況カルテルが結成される一方で、繊維工業設備等臨時措置法 ( 繊維旧法 ) ・特定繊維工業構造改善臨時措置法 ( 特繊法 )・繊維工業構造改善臨時措置法 ( 繊維新法 ) など、旧設備の廃棄と新設備の導入を政府が支援して海外との競争力向上を図るが、大きな成果は得られなかった。
1985 ~ 2000 年
経済産業省 工業統計調査 ( 男子、少年用背広服上衣 )
和暦 | 西暦 | 生産数 | 金額(百万円) | 出来事 |
昭和60年 | 1985年 | 15,330,223 | 118,811 | プラザ合意 |
昭和61年 | 1986年 | 17,090,635 | 127,719 | バブル景気に突入 |
昭和62年 | 1987年 | 16,779,223 | 139,978 | ブラックマンデー |
昭和63年 | 1988年 | 17,189,875 | 156,334 | |
平成元年 | 1989年 | 19,304,790 | 173,180 | ユナイテッド・アローズ設立 |
平成2年 | 1990年 | 18,088,907 | 173,437 | |
平成3年 | 1991年 | 19,220,701 | 197,730 | 湾岸戦争勃発・バブル崩壊 |
平成4年 | 1992年 | 17,797,637 | 188,445 | |
平成5年 | 1993年 | 13,722,689 | 144,919 | |
平成6年 | 1994年 | 11,623,969 | 115,384 | |
平成7年 | 1995年 | 11,230,487 | 111,792 | |
平成 8年 | 1996年 | 9,838,766 | 110,182 | |
平成 9年 | 1997年 | 9,273,673 | 98,861 | アジア通貨危機・ZARA日本上陸 |
平成10年 | 1998年 | 8,372,137 | 94,059 | |
平成11年 | 1999年 | 6,976,405 | 72,549 | ザ・スーパースーツストア オープン |
平成12年 | 2000年 | 6,063,159 | 60,302 |
ニクソン ・ショック以降、円高が進行して 増加傾向にあった輸入は 1985 年の プラザ合意 で一気に加速。
DCブランドの人気が高まり インポートブームでアパレル製品の輸入が急増し、87年には 輸出額が輸入額を上回り、国内のスーツ生産数は 1991 年のバブル崩壊を境に減少へ転じる。
国内のアパレル製造業は 裁断・縫製・プレス・仕上げ・検査などを専門で行う 分業形態の 家内工業 や 個人経営の零細企業など 資金力のない下請企業が大部分を占めていたため、最新設備の導入や 新たな人材 ( 労働力 ) の確保が難しく、生産規模が小さいためにスケールメリットもないところに 国内の賃金コスト上昇が追い打ちをかけるような状況にあり、アパレルメーカーは中国 や 東南アジアに日本から技術指導者を派遣して 最新設備を備えた 低コストの生産拠点を作り、需給バランスが歪なまま 大量生産・大量販売を継続する。
経済産業省 工業統計調査
ファッションビジネス学会 ファッション産業年表
ア パ レ ル 産 業 の 問 題 点 と そ の 将 来 に つ い て pdf
繊維産業 一 復興 ・発展 期か ら調整 ・改革期 へ pdf
最 近 の 繊 維 経 済 事 情 と 構 造 改 革 pdf
スーツの価格
1990 年以降 平成大不況でデフレが進行し、ツープライスショップや格安オーダースーツの出現もあって、スーツの価格は極端に値下がりしている。
貨幣価値の比較
- 2015年の 消費者物価指数 を基準にした場合
1970 年 ( 24. 4 ) に対して 2018 年 ( 101. 7 ) は 4. 2 倍。 - 大卒の初任給 を基準にした場合
1970 年 ( 39,000円 ) に対して 2018 年 ( 206,000円 ) は 5. 2 倍。
喫茶店のコーヒー 1 杯の価格は 1970年が95円 で、消費者物価指数ベースで 2018 年の価値基準に換算すると399 円、大卒初任給ベースで 494 円。
2018 年のコーヒー 1 杯の価格は 東京都区部が 479円なので、コーヒーの価格は1970年当時と比較しても ほとんど変わりがない。
小売物価統計調査 主要品目の東京都区部小売価格 によれば 1970年の冬物背広の平均価格は2万2千円なので、2018 年の消費者物価指数 基準に換算すると 1着 9万2千円、大卒初任給ベースで換算すると 1着 11万4千円になるが、2018 年の小売物価統計調査 では 東京都区部 百貨店・専門店 秋冬物 の 平均価格は 73, 140 円、百貨店・専門店を除く普通品 の平均価格は 32,380 円 で、1970年当時と比較すると秋冬物のスーツは 商品価値が 20~70 %低下している。
セールの常態化
平成大不況でデフレが進行するなか、アパレルメーカーや販売店は大量に抱えた在庫をセールで売りさばいて一時的に売上を確保するが、販売店はセールに味をしめて定期的に実施し、利益率を確保するため二重価格を前提とした セール商材 を販売するようになって、セールが常態化する。
割引率が高いほど 商品が売れるため 当初は 販売実績のない架空の上代を設定していたが、消費者に対する 有利誤認 が問題視され 2000 年に 公正取引委員会が 不当な価格表示についての景品表示法上の考え方 を公表し、二重価格の比較対象価格は セール開始前8週間で4週間以上、販売期間がそれ以下の場合は2週間以上 販売されていた価格 に表記ルールが明確化される。
架空の上代設定ができなくなると 販売店は セールの2週間前から 販売価格を引き上げた状態で店頭に陳列し、セール開始時に二重価格で適正売価へ戻したり、割引率を考慮した価格設定にするなどの手法を用いるようになる。
アパレル小売の売上不振はファストファッションの躍進が原因に挙げられているが、SPA(製造小売)の商品は価格相応か価格以上の品質があるのに比べ、従来のアパレル小売はプロパー価格の品質が低下しているため、消費者のファストファッションへの移行に歯止めを掛けられなかった。
ビジネススーツの市場縮小
全く普及しなかった省エネスーツと異なり クールビス は 2005 年の 開始から着実に浸透して 夏場のノーネクタイ・ノージャケットが定番化し、更に 個性の尊重・働き方改革・企業のグローバル化 などで オフィスのカジュアル化が進んで スーツ離れが加速している。
2018 年 11 月に発表された 既製スーツの 量販大手 青山商事・AOKIホールディングス・コナカの3社は スーツ離れ による市場縮小で赤字に転落 した。
スーツ市場の縮小は団塊の世代が定年を迎えたことも大きいが、ビジネススーツは社会にある既成概念の象徴でもあり、近年のやたらと慣習を否定する風潮の槍玉に上がっている感がある。
新型コロナ禍の影響
2019年 11月に 中国 武漢で初の感染者が確認されてから 急速に全世界へと広まった新型コロナウィルスの影響で、世界的に経済が停滞して消費が大幅に減少し、Brooks Brothers や J.Crew、Laura Ashley など海外の老舗ブランドの破綻、国内ではレナウンの破産やシティーヒルなどの民事再生申請、 オンワード・三陽商会・青山商事の 大規模な店舗縮小、セシルマクビーの全店閉店など、一世を風靡した アパレルブランドやメーカーの衰退が顕著に現れた。
2023年5月以降は徐々にコロナ禍前の状態に戻りつつあるが、重衣料の需要減少には歯止めがかかっておらず、スーツ業界は大きな転換期を迎えている。