衣服改革宣言
スーツの歴史は 英国を中心に語られることがほとんどで、現在のスリーピースは 17世紀のイングランド王 チャールズ二世が行った 衣服改革宣言 に端を発している。
洒落男だったチャールズ二世が導入したスタイルは、フランスの太陽王 ルイ 14世が宮廷服として導入したジュストコール を模倣したものだが、18世紀頃には英国で乗馬用として発展した ライディングコート(ルダンゴト) がトレンドになり、男性のモードは英国が牽引するようになる。
18世紀から 19世紀にかけてライディングコートが簡素化され、軍服の影響を受けつつ 機能的になった フロックコート が誕生して宮廷服や軍服として定着する。
フロックコートはウエスト部分がシェイプされた フィット感のあるロングジャケットで、デザインはシングルブレストとダブルブレストがあり センターベントになっていた。
ボー・ブランメル
18世紀末には乗馬しやすいようにフロックコートの前身頃をカットした テールコート (燕尾服)が現れ、フロックコートの丈を短くした 乗馬用のジャケット (スポーツコート)が普及する。
当時 イギリスで一大ブームとなったのが 中産階級 ( ブルジョアジー ) が貴族を模倣した ダンディズム で、そのファッションリーダーが平民出身の ボー・ブランメル 。
ブランメルは、綺麗な身なりと優雅な立ち居振る舞い、見事な話術と ダンディズムを体現した存在で、テールコート を流行させた立役者と言われている。
19世紀の中頃にはテールコートが男性の夜会服(イブニングコート)として定着、テールコートの前身頃を水平ではなく斜めにカットしたスタイルが朝の乗馬の服装(モーニングコート)として人気を博し、当初はインフォーマルだったが 19世紀末には正装になる。
チェスターコート
フロックコートは現在のスーツの上衣に相当するもので、防寒用にはフロックコートの上に羽織る オーバーフロックコートがあり、オーバーフロックコートは 基本形がシングルブレスト、フォーマルの場合はピークラペル、インフォーマルな場ではノッチラペルのものを着用していた。
19世紀中頃には当時のファッションリーダーでもあった ジョージ・スタンホープ 第6代 チェスターフィールド伯爵 が、オーバーフロックコートやラウンジジャケットをベースにしたオシャレなオーバーコートを作り、その名を取って チェスターフィールド コート(チェスターコート)として流行、現在もトップコートの定番として人気がある。
ラウンジスーツ
19世紀後期に普段のスタイルとしてブルジョアジーが着用したのが、ジャケットと同じ生地(共地)でベストとパンツを揃えた ラウンジスーツ で、シングルブレストのボタン位置は高めだが、ダブルブレストのスタイルもあり、現代スーツの原型が誕生する。
当時のイギリスでは喫煙の習慣が広まり、晩餐会ではテールコートを着用し、食事の後 喫煙室などで煙を楽しむために スモーキングジャケット へ着替えるようになって、ラウンジスーツとは別にスモーキングジャケットがファッション化する。
英国王 エドワード七世 の 濃紺ジャケットに黒のトラウザーズ、ボウタイ(蝶ネクタイ)というスタイルが ディナージャケット(タキシード)として流行し、後に黒のタキシードが正装として認知されるようになる。
日英同盟・英仏協商・英露協商 を締結してピースメーカーと呼ばれる外交手腕を発揮し、国民にも愛されていた エドワード七世はファッション関連の逸話も多く、皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)時代からグレンチェックの服を愛用したことから、グレンチェック柄が プリンス・オブ・ウェールズ チェック と呼ばれたり、好んで着用していたウエストバンドがあるノーフォークジャケットが英国で流行したり、緑の羽根のチロリアンハットを被った写真が掲載されると同じような帽子が飛ぶように売れたりと、英国紳士に多大な影響を与えていた。
ベストの一番下の釦を外すようになったのは エドワード七世 の「 一番下の釦を外したままのほうが着やすいし エレガントでもある 」という一言に端を発し、英国紳士の間で ベストの一番下の釦を留めないスタイルが流行したものが定着したと言われている。
軍服との関係
スーツの起源とされているフロックコートは、フォーマルウェアであると同時に軍服としても利用されており、宮廷服のスタイルとは別に機能性を重視した戦闘服として進化していく。
英国を代表するブランド バーバリー の創業者 トーマス・バーバリーは 耐久性・保温性に富んだ 綾織の ギャバジン を開発し、防水加工を施したギャバジンを使用した軍用コート タイロッケンコート を制作。
第一次世界大戦では 陸軍が塹壕(Trench)で使用するため タイロッケンコートをベースにした トレンチコートが誕生し、この軍用コートがファッション化して現在では定番化している。
メタル釦でダブルブレストの リーファージャケットは 1800 年代の 英国海軍のガンボート ( 砲艦 ) HMS Blazer の 艦長が乗組員に揃えたことが流行して ブレザー と呼称されるようになったと言われており、この出来事が後に海軍の制服としてセーラー服の支給へとつながっていく。
現代のスタイル
スーツのデザインは シングルブレスト と ダブルブレスト があり、現在のビジネススーツは ノッチドラペル で 2釦 のシングルブレスト が標準仕様になっている。
ダブルブレストのスーツは 1930年代中期~50年代後期 と 1980年中期~1990年代後期にかけて流行し、特に日本では 1980年代中期からのバブル期にソフトスーツが人気を博した。
ビジネススーツはインフォーマルに分類される服装で、20世紀以降 ビジネスシーンでの国際標準のドレスコードになっているが、時代によって ラペル ( 下衿 ) 幅 や ゴージラインの高さ、ボタン位置などが変化している。
シングルスーツの丸いフロントカットはモーニングコートの影響を受けており、当初のモーニングコートがフロックコートのフロントカットを丸くし、カット部分にもデザインとして釦が配置されていたため、その名残りとして 現在もフロントカット部分に 留めない釦が付いている。
略礼服
略礼服は簡易的な正装として定義した日本独自のスタイルで、分類的にはビジネススーツと同じインフォーマルで、ダブルスーツが流行していた当時に業界が勝手に決めた仕様のため、当初はダブルスーツが略礼服の標準スタイルとして浸透し、1960年代以前の世代ではダブルスーツが正装だと思い違いをしている人もいるが、ブラックスーツであれば特に問題はない。
生地を黒に染めるのはコストがかかり、黒さが増すほど高級な素材になることもあって 略礼服は「 黒いほど良い 」とされ、女性の和服と同じく年配者ほど 当時の標準 や 既定 にこだわる傾向がある。
ディテールとスタイル
- シングルスーツで 一番下の釦を外す理由
シングルスーツの丸いフロントカットはモーニングコートの影響を受けており、当初のモーニングコートがフロックコートのフロントカットを丸くし、カット部分にもデザインとして釦が配置されていたため、その名残りとして現在もフロントカット部分に釦が付いている。 - 右前身頃にボタンが付いている理由
スーツの右前身頃に釦があり、左前身頃が上に重なるようになっているのは、左側に下げているサーベルを抜きやすくするデザインの名残り。 - センターベント
センターベント の別名は「馬乗り」で、元は乗馬の際に裾周りが引っかかるのを防止するためのデザイン。
米国ではブルックスブラザーズのセンターベントのサックスーツが一世を風靡し、アメリカントラッドの源流となったことからシングルスーツの標準になっている。 - サイドベンツ
サイドベンツ の別名は「剣吊り」で、フロックコートなどの軍服でサーベルを挿しやすくしたデザインを模したもの。
米国ではサイドベンツは 英国風 のデザインとされており、カスタムメイドでオプション扱いになっているところもある。 - ラペルのボタンホール(フラワーホール)
ラペルに付いているボタンホールは、首の当たりまで釦で留めていたものの名残りで、海外では第二次世界大戦以前は フォーマルな場だけでなく、仕事やプライベートでもブートニエールを付けていることも多かったようだが、大戦後はフォーマルなシーンで使用している人がいる程度で、現在はビジネススーツに社章をつけている人も少なくなり、ボタンホールに切れ込みが入っていないことも多い。
ブートニエールは 1455年 英国の ランカスター家 と ヨーク家 の間で行われた 薔薇戦争 の事で、ランカスター家 が 赤薔薇、ヨーク家が 白薔薇 の紋章を付けた軍服を着用していたが、軍服が支給されない兵士が 敵味方を識別するために 赤薔薇・白薔薇 の飾りを作って服に付けていたのが起源とされる。
英国のヴィクトリア女王 が結婚して1年後の写真撮影の際、愛の証として夫のアルバートへ花を贈り、アルバートが衿に穴を開けて花を挿したことで、ブートニエールがブームになったという逸話もある。
ラペル部分のボタンホールはフランス語で ブートニエール、日本では フラワーホール と呼ばれており、日本でブートニエールというと、釦ホールに飾る花、もしくは 花のピンを意味する。